Viva la Innovation

「数学の発展が止まる日」という内容の文章を読んだことがある。

数学の世界で功績を残すには、尋常でない集中力、抜群の思考力が求められるが、その条件は20〜30代の若い時期にしか与えられていないものであるとのこと。事実、数学の世界で偉大な功績と呼ばれるものは、20〜30代の若い時期に成し遂げられたものばかり。一方、数学とは過去の蓄積(証明、定理など)の上に成り立っているものであり、何らかの功績を打ち立てるには、どうしてもその上に立たざるをえない。

今の数学世界の過去の蓄積はある臨海量を超えつつあり、数学者が本来力を発揮できる20〜30代の時期を全て使ったとしてもキャッチアップが終わらなくなりつつある。革新的な成果はもう出ないのではないかというのが、「数学の発展が止まる日」の趣旨。過去の蓄積がジレンマとなり進歩が止まるという話。


でもって、僕が働いている情報システム業界の未来について考えてみる。
今僕は、大手流通会社のシステム刷新を行っている。今やそのシステムは社会インフラのようになっているので止めることなんてまず不可能。そして肥大化しすぎてしまっているので、そのある部分を刷新する場合に、他の部分の連携が取れるかどうかの影響範囲を完全に抑えることはできない(おさえている人がいない)。そのため結局は現行仕様をどれだけ忠実に再現できるかという勝負になってしまう。

そうやって考えてみるとシステムってものは人々の生活に入り込めば入り込む程、止められなくなり、且つその大きさから全体を把握できなくなっていく。結局は、現行踏襲をせざるえなくなり、革新的な進歩は難しくなっていくのかもしれない。似てないけど、過去の蓄積がジレンマとなり進歩が止まるという点では数学のそれと共通点がある。

でもポアンカレ予想は解かれたし、フェルマーの最終定理は今やフェルマーワイルズの定理と呼ばれるようになった。

今どこかで誰かが作っているプログラムが、将来の社会インフラとなることもあるのかもしれない。身動きがとれなくなったシステムを吹き飛ばしてくれるような。

過去の歴史を見ても、結局人間は何かをやってくれるし、進歩が止まるなんてことは絶対にないと思う。


次の進歩は誰がどのタイミングで作り出すんだろう。その時自分はどこにいるんだろう。